アメリカ西海岸流通業とシリコンバレ−IT産業視察
 前日まで3件の税務調査等の事務仕事に追われ、持ち越しのままの出発となった。だから、今回の海外視察はあわただしかった。身の回りの準備も英語の準備もできず、行き先の情報もあまり吟味しないまま出かけてしまった。しかし、たまの海外視察は本当に良い体験である。今後も命の有る限り継続して行きたい研修だと感じている。そして、毎回、「いいとこどり」の視察を企画し、全てお任せしても期待を裏切らない、株式会社MORE経営研究所の中小企業診断士日野真明氏には、この場を借りて感謝申し上げたい。
 研修の目的は今までは中小企業診断士として、新しい業態や繁盛店の秘訣を探ることであった。今回はこれらと同時に目的の2つ目として、昨年取得したITコ−ディネ−タの立場から、先端であるアメリカのIT事情も研修の対象とした。2000年に訪問したマイクロソフト社のように、シリコンバレ−でITの先端企業の様子を体感し学ぶことが目的である。

 「アメリカは今、元気がない。」これが今回の感想である。たまたま、LAのダウンタウンに数日滞在したからなのかもしれないが、前2回の海外視察に比べ印象はけして良いものではなかった。昨年9月11日のテロの影響が大きいと言う話であったが、ここまでの元気なアメリカは、ある意味無理をしていたのかもしれない。バブルの崩壊のような急落ではなく、小さな穴のあいた風船が気づいたら縮んでいたという方向ではないだろうか。
 とはいえ、アメリカは日本にはないパワ−がある。ダイナミックである。やはり、繁盛している店舗には、学ぶべき点は多く、新しいビジネスも発想がユニ−クで参考になる。まだまだ、日本はアメリカに学んでいくべき事は多いというのが、本音である。
6月16日
 名古屋空港から4時20分出発。
 アシアナ航空でフライト。韓国インチョン空港を経由してLAに向かう。アシアナ航空を知らなかった私は、韓国の航空会社がどれほどのサ−ビスをしてくれるか正直不安であった。大韓航空機墜落のイメ−ジがあるし、今までノ−スウエストが多かったので、軍隊上がりのパイロットの方が安心感はあると思っていた。ところが、飛行は安全であったし、往き帰りともに満足のいくサ−ビスを提供してくれた。同じ東洋人と言う安心感があるのか、スチュワ−デスの人達が親切だったからか、韓国語での機内説明がわからなかった事をのぞけば大変満足できた。特に、機内食のビビンバは絶品であった。
 アシアナ航空はソウルオリンピックの時(1988年)にできた新しい航空会社で、アメリカン航空と共同運行している。最近では全日空とも提携している様だ。後発の航空会社として、前向きにがんばろうとする姿勢が伺える。
 インチョン空港(仁川国際空港)も特筆に値する。今年の3月29日に開港した大型の国際空港である。施設は4階建ての大きな街になっていて、近未来都市のようである。免税店のお土産屋さんが沢山あるのは言うに及ばず、ホテルからボ−リン場、マッサ−ジ室から祈祷室まであった。アジア・中国の中心的なハブ空港を目指しているというその意気込みを感じた。中部国際空港はインチョン空港の様になれるのだろうか。
 トランジットの入り口がわからず、ひと気の少ないところをどんどん進んで行く。新しい空港なので人がいないのかななんて思いながら。写真を撮ろうとしていたら警察?が来た。韓国には軍隊があり、規律が厳しそうである。若いお兄さんがダメダメと言いながら近寄ってきた。どうやら、軍事施設に通じるところへ迷い込んだらしい。すぐに引き返したがその割に感じよく応対してくれた。
 この時の警察のお兄さんもそうであるが、売店の若者やラウンジの係りの若者にも共通して感じたのは、韓国の若者は日本の若者に比べると、しっかりしていて礼儀正しいと言う事であった。大変好感を抱いた。英語だけでなく日本語を理解しようとしてくれるし、笑顔で誠に親切丁寧であった。日本の若者が忘れてしまった、礼節と言うか敬愛の気持ちが感じられた。これは軍隊があるから、立て組織の中でかなり厳しくしつけられると言う事と、家族を大切にする風習が日本より強く根付いているからかと思われる。日本の教育を根本的に考え直さないと、「韓国に負けちゃうぞ!」って痛感した。
 特に今回は、ワ−ルドカップの最中であったから大変である。空港内のキップを切るお姉さんまでが韓国応援団の赤いTシャツだった。サッカ−で国中が日本以上に沸いていた。
6月16日の段階では日韓ともに開催国が決勝ト−ナメントに進出できて、めでたしめでたしの時である。アシアナの飛行機の中でも、空港ロビ−の大型TVでも韓国のゴ−ルシ−ンがくどいほど繰り返し流れ、韓国の人々の歓声が絶え間なく聞こえていたかのようだった。
 今回の視察は韓国でトランジットするので、私にとってははじめての経験であり、韓国の地を踏んだのもはじめてであった。飛行機を降りた瞬間、キムチの匂いが混じった空気に感じられた。なんだか「自分にあいそうな国なんだろうな。」という予感がした。しかし、今回の目的は韓国ではない、しばらくしてLAにむかう飛行機に乗った。

 10時間以上のフライトで眠れたのかどうかわからないけど、LAに到着。カリフォルニアは相変わらずカラッとしている。雨がめったに降らないから、ひとびともアッケラカ−ンとしている。LAの空港は3回目ではあるが、入管の関所はやはりちょっぴり緊張する。入管のお兄さんの質問がややこしいと困るななんて構えていた。外人顔で、「カンコウデスカァ〜」と。Yes,Iam Sightseeing・・・・・ええ、観光です。「タノシンデクダサイ!!」であった。入管で日本語は初めてなのでビックリ!
 初日のツアコンは羽音さんというおじさんであった。大手旅行会社の下請けであったが、テロ以降は旅行会社が外注に出すほど客がなく、内部で処理できてしまうということで、外に出す仕事は無くなってしまい、羽音さんは独立せざるを得なかったようだ。ともかく、テロで1番大変な思いをした業界が旅行業界である事は間違いない。

 LA空港からダウンタウンへ。前2回はLAと言ってもずいぶん郊外のブレア地区、エンバシ−スイ−トホテルであったので、本当のLAの姿を見るのは今回がはじめてかも知れない。あの有名なロス市警のとなりのオ−タニホテルに3泊した。ロス市警といえば、コロンボ刑事やダイハ−ドのブル−スウイルスが思い当たる。なんかいきなり銃撃戦でも始まるような雰囲気もあった。
 オ−タニホテルの中に入ってしまえば日本人が多いので安心感はあった。しかし、この地区は1歩裏路地へ行くと貧民街もあり治安が極端に悪いらしい。すぐ裏のオニズカストリ−トにある日本人用のス−パ−マ−ケットマルカンへ行く。1992年に宇宙シャトルの打ち上げに失敗した時に無くなられた日系飛行士オニズカ氏を記念して、碑が立てられスペ−スシャトルのレプリカが展示してあった。
 マルカンというス−パ−はほとんど日本と同じものが売られている。盗難防止用ネットは、地域的な生々しさを感じた。エビアンとヨ−グルトとビ−ルこうぼうを買ってホテルに戻った。
 夕食は、悩んだ挙句、チャイナタウンの北側にあるエンベレスパビリオンという中華料理店に行くことにした。タクシ−で20分くらい走った。バンブープラザというビルの中にあったのだが、ビックリした。そのビルそのものがゴーストタウンのようで、店舗がほとんど入っていそうにない。さらには、我々がそこについた頃には、時間帯も悪かったのかも知れないが、その中華料理店のみが大入で他の店舗はだれもいないくらいであった。なるほどその中華料理店は、多くの人が集まるだけあって、すべてgoodであった。うまい。量もアメリカ的で値打ち感があった。店員もそれなりにきびきび動いてくれる。昼の飲茶はさらに有名だという。どんな廃墟の中でも、あたりまえの範囲で顧客満足を実践していれば、顧客を集める事ができる店があるということを知っただけでも参考になった。
 オ−タニホテルの客室はまずまず奇麗であった。夜警の中でダウンタウンの高層ビル群が奇麗であった。すぐ斜め前に雰囲気の良い教会があったが、ロス地震のときに亀裂が入り崩壊しそうなのに関わらず、お金がないので放置してあるそうだ。そしてその周辺が貧民街になっているとか。
 TVを付けていてパトカ−のサイレンが鳴るので、TVの中の音かと思ったら、外が騒がしかったのである。ロス市警が近いので、常に事件がおきているのかな。当事者は大変だろうけどなぜか本物の事件現場の中にいるようで、ドキドキしてしまった。
6月17日(流通業視察専門の日)
 朝9:00、オータニホテルを出発。明るいうちはそんなに変な町でもなく、怖さを感じなかった。流通業の視察。繁盛店がまた、何かのヒントを与えてくれる事を期待して。
  1. アルバートソン(アルハンブラ市)
    <9:30>
    アルバ−トソンは2回目の訪問。今回はフリーモント市の店舗。先回も感じた事であるが、相変わらず床はワックスがしっかり利いてピカピカ、陳列は定規で測ったかのように3次元に積上げられ、量感がバッチリ。10%OFF箱が面白かった。箱に入る分のまとめ買いをすれば、10%引いてくれるのだそうだ。面白いアイデアである。
  2. ターゲット
    <〜10:00>
    百貨店Kマートよりは上という位置づけ。スッキリおしゃれ系。子供用品・家庭用品・ジュエリーが目立った。サンマリノの高級住宅地。 
     ターゲットが他社に比べ、あかぬけた洗練されたイメージが感じらた。商品の展示の仕方、壁周りの装飾のやり方など華やかさがる。親会社がデパートメントストアのデイトンハドソンということも洗練された雰囲気のひとつの要因かも知れない。ファッションと生活用品にマーチャンダイジングの重点をおいている。衣料品などのソフト商品が1/3、家電などの耐久消費財のハード商品が2/3という割合で、フルラインのディスカウントストアとしては非常にバランスのとれた品揃えとなっている。また高品質のアパレルPB(プライベートブランド)の開発にも力を入れている。
  3. パビリオン
    少し高いスーパー。VONSと同経営。良スタッフをパビリオンへ・メンバー割引有。床がきれい・ワイン豊富・フルーツ・ベーカリーが充実していた。
  4. ストルファーム
    <10:35〜11:00>
    ワインが豊富。農協朝市的な感じであったが、陳列は豊量感があってOK。寿司がなかなかgood。特に明太子巻きがうまかった。エビアンを買う。
  5. トレーダージオ
    <11:10>
    空店舗対策でやってるらしい。ローコスト経営に徹していた。ドライフルーツ・アルコール系が充実していた。ブルベリー買う。生鮮物以外は輸入品か。しかしながら、経営者の頭のやわらかさを感じた。経営者ハンティトン氏のライブラリー有。
  6. インアウト
    <12:00>
    昼食にハンバーガー。おお〜アメリカ!!! マクドナルドとは違うおいしさであった。
    モントレーパークの中国人街→LONGO TOYOTA=西海岸最大のディーラー→ノーウォーク市経由
  7. ウオルマート
    今日世界最大の小売業者と言えばなんといってウオルマ−トである。日本へは西友と組んで上陸してくるので、アメリカへ行く度に視察の対象とするのであるが、その全貌を把握するには至らない。ウオルマ−トに関しては多くの書物があり、その中から読みかじった点を現地で体感するのが限界である。それほどのビックカンパニ−である。
     ウオルマ−トの今日の成功は3つの基本戦略とそれを実行する従業員のモティベ-ション、それとIT投資だといわれている。
     3つの基本戦略は「エブリデイロ−プライス」「徹底したコスト管理」「効率的な物流戦略」である。これらは創業者サム・ウォルトンの考え方でもあり、創業時から一貫して貫かれていると言う。また、「サンダウン。ル−ル」(今日できることをなぜ明日に延ばすのか?)というサムの口癖が従業員の身にすり込まれている。この当たりは、日本の中小企業全般はもとより、私自身も改めて参考にして行くべき考え方である。
  8. ブロックatオレンジ
    <2:15>
    オレンジカウンティーの店舗集積・映画館・クリスピークレイムドーナッツがいかにもアメリカ的で食指をそそらなかった。ボーダーズ(本屋)は、B&Nの次に大きい書店のチェ-ン店。
  9. サウスコーストプラザ
    ノードストーム・メージーズ・メンズを見学した。
  10. Sハリウッドシティーウォーク
    ウイザード・マジック(人が消えた)
    ハードロックカフェ  買物
6月18日
  1. マリナ デルレイ(王様の海)
    <8:00〜9:00>
    4万層(西海岸最大)
    スシ職人=アーティスト.地位が高い9:00
    サンタモニカ 海岸砂がさらさら
    スシロク 宮沢リエ  2個だけ
    センチュリーシティ
    ダイハード ナカトジビル 20世紀FOXスタジオ
  2. ビバリーヒルズ(世界のお金持ちの街)
    <9:30>
    貸車屋(ロールスロイス ベンツ)ビバリーヒルズ
    車が急に
  3. ホールフーズマーケット→ハリウッド
    床もきれい。陳列OK。寿司・豆腐はうまくない。
    オーガニック・テーマ.デリ充実
  4. チャイニーズシアター(1時間半南へ走る)
    ジョニーアンドロケッツ(ハンバーガー)
    アカデミーショー授賞式・コダックシアター
    ハリウッド看板
    ブイルドアベア.アークショップ
  5. カリフォルニアワインめぐり
    15のワイン農家が集中している中3つ回り試飲する。
    カリフォルニア・ Ky・キャラウェイ
  6. ドジャース球場で観戦(7回まで)
    VS ブルージェーズ  0−2で負け
    野茂・石井は出ず
    国歌を歌う時全員が胸に手をあて止まって歌った事にビックリ。
 アメリカは今テロの影響で、心理的に不安定な状況になっているが、窮地に追い込まれるとあの雑多の集合体の民族が、国家を一斉に愛してしまう。ウオルマ−トのような大型店だけでなく小さなス−パ−でさえ、アメリカ国旗や国旗をモチ−フにしたグッズが必ず販売されていた。紙皿であったり、蝋燭であったり、タオルであったり・・・あらゆる日用品に国旗が使ってあった。
6月19日(観光の日)
  1. ディズニーカリフォルニアアドベンチャー
    一年前できた・タルボートでびしょぬれ。
    空中55mに飛び止まるのでビックリ
    ジェットコースターもロケットスタ−トの演出とミッキ−マウスの顔の部分を回転するところがすごい
    観覧車はふうつうでは無く、ぶらぶら前後に動くやつであった。
    虫のシアタ−はユニバ−サルスタジオの3Dに匹敵するくらい面白かった。お尻の下をモグラが走ったのにはたまげた。
    ダウンタウン ロス→SF9:00
 夕方、アラスカ航空LAからSFへ飛ぶ。国内の移動なのに、飛行機に乗る前のチェックは大変厳しかった。私なんかはどう見たってハイジャックしそうにない人間だと思うが、靴まで脱いでチェックした。薬のアルミ片がポケットの中にあるだけでも、確認されていた。ま、だからこそ安心して搭乗できるのだけれど。
 7時20分発のフライトであったが、まだまだ明るい。ちょうど日が沈むころにSFに到着。途中の雲海や、モントレ−とかカ−メルと言う噂の絶景ポイントを、上空から眺めた事になる。いつかは行ってみたい。雲海に沈む夕日を見ているといろんなことを考える。
 零戦のパイロットや特攻して行った人々も、飛びこむ直前にあんな絶景を見ていったのだろうか。それを絶景と認識する余裕はあったのだろうかと。そもそも飛行機なんて飛んでいるのが不思議なのだから、次の瞬間この機が金属の棺になることだってあるんだ・・・
ま、無事帰れればそれもありがたい・・・などと。
 9時頃SF倒着。ここで事件が起きる。バッゲジダウンで私のバックだけが出てこないのだ。タ−ンテ−ブルがいつもの様に荷物を出してくるのであるが、何時までたっても出てこない。だんだん回りがいなくなる。いつのまにかタ−ンテ−ブルが止まる。「そんなバカな!!」・・・冷や汗がでる。
 運悪く現金が入っている。それもかなり大金。キャッシュをバックの中にいれるものではないとはわかっていたものの、今回はついつい入れてしまっていた。旅行まじかまでドタバタしていたため、旅行費用を振り込む間もなく当日空港で渡そうとして持ってきた分と、たまたま知立まで母が見送ってくれたので、その時渡してくれた分が入っていたのである。60万円はあった・・・・・汗。汗。・・・冷や汗!!!
 ガイドさんが「バックに現金入れるなんて・・・、こちらではX線通す係りが、大金は入っていればみやぶるし、電子ロックでもチェンソウとかで開けてしまえるし・・・。何と言う不用意な・・・・でも、多分やがて出てくるでしょう。そう祈っていてください。」と。慰めにもならず、かえって不安になってしまった。「命があって帰れれば良いから、諦めてSFを楽しめ」と心に言い聞かせた。
 SF都心までのハイウエ−からの景色は独特で、宝石箱の中を失踪している様であった。
通常ならその奇麗さに歓声を上げていたが、バッグの事が気になって、あまり記憶していない。日本の様に白色の蛍光灯はなく、ハロゲンランプのような黄色の光が各家庭にまで使用されているようだった。おとぎの国の感じもしていたが、バックのことが心配だった。
 宿泊は運良く、ユニオンスクエアのまん前にある歴史的ホテル、ウエスティンに泊まることができた。旅行会社の手違いで、1番良い5つ星ホテルしか残っていなかったのである。ラッキ−!!!・・・本来なら、1泊5.6万以上するらしい。天皇陛下もSFではお泊りになったとか。イチロ−や佐々木の常宿でもあるそうな。入り口からしてゴ−ジャス。入り口右手のラウンジは、正装しないと入れないような雰囲気であった。いきなり映画俳優が出てきそうな感じであった。高そうな大きなのっぽの古時計も何年前からあるのかわからないけど、正確に時を刻んでいた。
 外が見えるエレベ−タ−でカッコよく部屋まで。SFの夜景がすばらしく見える。暗闇の中で星条旗がたなびいていた。ここもザ・アメリカ。部屋も調度品が高そうだし、バスル−ムは大理石。こんな部屋に泊まれるなんてなんて幸せな。
 しかしバックが気になって、眠れない。寝る前にパンツを洗った。2日間着てもいいのだが、バックが戻らないとずっと着っぱなしになると思い、思いきって洗った。5時に仮におきて、乾き具合を確認したら数時間しか経ってないのでビショビショ。カリフォルニアアドベンチャ−の濡れ具合に比べれば行けるかもしれないが、体温で乾かすのは厳しいかと思い、アイロンがけをはじめる。相方が起きるまでひたすらタオルを当ててのアイロン掛け。ゴ−ジャスなホテルで「私は何をしてんだろう。」とつぶやきながら、1時間以上かけて乾かした。誠に滑稽なしぐさであったと思われる。 
6月20日
<SF 8:00発>
 今回の視察最大の目的、シリコンバレ−はLAから南へ100kmのところにある。シリコンバレ−と言うのは地名ではなく、サンノゼと言う街一帯のスタンフォ−ド大学バ−クレ−校(孫正義氏が学んだことでも有名である)を中心としたIT企業が集中している地域のことである。
 かつてはLAから2時間以上かかるといわれていた距離も、両側6車線ずつの車道を突っ走って1時間半くらいで到着した。道がすいているのは、シリコンバレ−がIT産業の中では時代の役目を終えて、企業が集積してないからだと言う。目的地にはインテルもアップルもあり、オラクルもあるのであるが、集積しすぎて地価が高騰し、いわゆるベンチャ−企業が各地に散らばってしまったようである。今はむしろこれからの時代をになうバイオ系の企業が多いということだと聞いた。それにしても、なかなかのんびりした街である。
 シリコンバレ−はITで有名になる前は、一時的カリフォルニア州の州都でもあった時期もある、カリフォルニア州第3の人口の街である。 

<9:30 サンノゼ>
  1. インテル博物館 good
    <11:00>
    1時間ショップで買物
  2. テックミュージアム コンピュータ科学館
    コンピュ-タがあちこちに置いてあり、自由に触れるので、触ったマシンは全て私の事務所のホ−ムペ−ジを呼び出したままにしておくといういたずらをしてきた。
    元々子供のようなところがあるのだが、子供心を見事に誘い出してくれる愉しく素晴らしい科学館である。
    <12:30>
    ヤオトン後 昼  MITUWA カレーライス
  3. アップルカンパニーストア $250
  4. ドレガー(高級) 食事演出提案 999 ワイン有り ワイン
    デリバーリンゲイ会  高級住宅地
  5. モーリーストーンマーケット 天井の高い充実したマーケット 陳列
 今回の旅行記はここまで。途切れ途切れであるが、とりあえずUPしなくてはと思い、思い出しながら書いている。本当に楽しかったのは、サンフランシスコ市内のフィッシャ−マンズワ−フやアルカトラス島の見える港なのだけれど、ただただ、いい雰囲気の思い出だけなので私の心の中に書きとめておく。また、サンフランシスコの町へ行けることを夢見て。


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